スーパーに並ぶ野菜たちのような人生からの脱出ゲーム
今日は雨。
買い物行こうと思ってたけど
この雨じゃ
バイクを走らせるのも
億劫だし
今日は引きこもろうね。
コーヒー飲んで
本読んで
ボーッとする
そんな時間を
神様が演出してくれたんだね。
きのう
マルクスの資本論から
より豊かになるための方法を
考えてみたけど
これを実現させるためには
やっぱり
自然農法的な人生を
生きることが
大切になってくるんだと思うの。
外から力を借りてくるんじゃなくて
自分本来の力を取り戻して
それを活かすこと。
これが
自然農法的な人生を歩む
方法ね。
ナチュラルライフ
とでも
呼ぼうか。
より豊かに暮らすためには
生活費を上げようという話が
マルクスの資本論から
導き出した方法だけど
いきなり
高い服買ったり
高いレストランに行ったり
高い家に住む
なんてことは
しなくても良いから
あの地点を目指さなきゃ行けない!
という
いつのまにか作られた
社会の思い込みを
取っ払って
じぶんの中に
いつのまにか植えつけられた
均一化された
一般化された
社会の基準を
ぶっこわすこと。
ぼくらは
いつのまにか
スーパーに並ぶ
野菜のように
均一化された基準を
通過することを目指して
生きてしまっている。
そのために
コミュニケーション能力を上げて
挨拶の仕方を学んで
メールの打ち方を学んで
エクセルやパワポを学んで
プレゼン力を学んで
人に気を使うことを学んで
愛想笑いを学んで
スーパーに並ぼうとしてしまう。
そうすると
スーパーに並ぶのは
同じような野菜たちばかりになり
何十個も何百個も
同じような品質のものが揃い
たとえ
どれか一つが欠けたとしても
全く
なんにも
世の中には
影響を与えない
誰かが安心するためのシステムの中で
消費されてしまう。
それは
イコール
単なる単純化された労働力であって
機械に取って代わられてしまう
使い捨ての労働力になってしまう。
そんなのつまらないし
意味わかんないし
いつのまにか
そんなレールの上を走らされているわけだから
驚きだけど
それを変えていける
パワーを
ぼくらは本来持ち備えている。
なので
もう
外から力を借りてくるのは
やめよう。
そして
スーパーに並ぶ
野菜たちではなく
あの人がつくった、あの野菜が食べたいの!
って、言われるような
人生を歩もう。
これが
自分の人生を創る
という行為なんだね。
さて、
今日も半身浴をしよう。
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