自由に生きるphilosophy.


辛い時は友に会って、また歩き出せばいい。



今日は

友達のかねやんが
 
今、働いてるお店に

遊びに来てくれた。






知らない土地で

知ってる友人が

来てくれるってのは

とても嬉しい

そして、とても安心する。






そして

自分の多少のキャラのギャップに

少しとまどう。笑







二人で撮った写真を

のせたいけど

場所がバレるからやめとく。






かねやんは

いつも



さっとん、すげーじゃん!

さっとん、それやろうよ!



って言ってくれる




マイペース主義の

自分にとって

それが

ときどき騒々しい時もあるけど

それは

お互いのキャラの違いなので

とても

ありがたいなと思っている。









かねやん、ありがとう!


みんな差し入れのチーズケーキ喜んでたよ!










本当は

とても心地よくて

温かくて

優しくて

ありがたい世界に

僕らは生きているのに




それを

しばしば忘れてしまう。






それは

これまでの長い間

自分の創る世界を

自分の人生を生きていなかったから。







誰かの評価基準で生きていると

その評価基準から

逸脱したときに

そんな自分を

責めるしかなくなってしまう。




責めるならまだしも

自分の心のバランスを保つために

誰かを敵にして

批判して

攻撃して

自分を正当化するという

構造をつくりだす。





そうやって、

創り出した世界は

感謝や

分かち合い

信頼

喜び

というものはなく

どんどん孤独な世界になっていく。





同じ場所で

同じ人間関係の中にいると

どうしても

これまでの癖で

この構造の中に

入り込んでしまう。









そこで

今日、かねやんが来てくれたことで

ふと、力が抜けた気がする。







いろんなところに

友達を持つということは

とても良いものだなって思った。









なんだかんだ

こうやって

わかったように文章を書いてるけど

まだこの構造の中から

抜け出すには

時間がかかりそう。







でも

抜け出す過程で

たくさんの変化と

成長と喜びが

あるから

それも含めて楽しめばいいと思っている。






もしかしたら

一生かけて

この構造から抜け出す

という

壮大な"遊び"を

楽しむのかもしれない。







もし

辛くなって

遊びだと思えなくなってきたら

友に会いに行けばいい。







友に会って

力を抜いて

また歩き出せばいい。






僕らは

楽しむために

この世界を選んで

生まれてきたのだから。


自由に生きるphilosophy.