自由に生きるphilosophy.


誰も攻撃なんかしてこないし、邪魔もしてこない世界。



毎日、毎日

磨きがかかっていく。




自分の世界は

自分で創ればいいじゃん

ということが

腑に落ちたのが、昨日。





自らが望まない

相手の世界に

のみこまれそうになったら

自分の価値観を死守する。





そんな内容も

前に書いたと思う。







でも

それは

本質とは少し

違っていた。






本当は

死守するもなにも

誰も

何も

攻撃なんて

していきていない

ということ。








勝手に攻撃されている気になって

勝手に自分の世界を

侵略されそうになってると

思い込んでいるだけで

誰も

何も

攻めて来やしない。





邪魔されることもない。





自分には自分の世界があって

他人には他人の世界があって

それは

現実世界では

重なるようで

重ならない。




異なる主張の世界であっても

バッティングするようで

バッティングすることはない。








ただただ

その人が

感じたい現実が

その人の元にやってくるだけなんだ。






誰も攻撃してこない

誰も邪魔してこない

としたら

どんな世界を創ろうか?







私という

存在の内側から

創られる

新しい世界。





苦労したければ

苦労すればいい。




ラクをしたければ

ラクをすればいい。






どんな人生を選ぶかは

僕らの自由だ。








優しい世界で生きたのか

厳しい世界で生きたいのか




自由な世界に行きたいのか

我慢が強いられる世界に行きたいのか




賞賛される人生を選びたいのか

卑下される人生を選びたいのか







答えは明確だ。






ただ、選べばいい。






難しいことは

何もない。

自由に生きるphilosophy.