そうやって少しずつ、自分の感覚を殺してしまっていたんだ。
とある
ふとした
キッカケがあって
自分の共感能力の
特性について
気がついた。
こういうものは
なんでもないようで
あとから活きてくるので
記録しておくことに限る。
自分では
共感能力がある方だと思っている。
エンパスとも
言われたこともあるし
表現活動や
芸術活動をしている人に
感想を伝えると
そうなんだよ!
わかってもらえると、嬉しい!
と言われることが多いから。
でも
とあるキッカケで
とてつもなく
共感能力が
ないことがわかった。
いや
正しく言い表すと
とてつもなく
共感能力が発揮しない
分野があることが
わかった。
それは
単純な視野的な
ものについて。
たとえば
友達に
赤ちゃんの写真も見せられても
なんとも思わない。
びっくりするくらい
へぇー。
としか、思わない。笑
実はこれ
前々から
微妙に悩んでたことで
みんな
赤ちゃんの写真とか
子供の写真とか
犬の写真とか
写真じゃなくても
実物を見たときでも
いいんだけど。
かわいいーーー!!
とか言うけど
え?
うそ?
まじか?
って、ずっと思ってて
その場のノリにあわせて
言ってみるけど
あんまり上手くいかないことが多い。
みんなも
お世辞として言っていることも
あるだろうし
半分くらいは
そんな感じなのかもしれないけど
それはそれで
瞬時に
かわいいーーー!!
と言える
瞬発力が
素晴らしい。
その代わり
ストーリーや
文脈や
なにかしらの意図がある場合は
ものすごく
共感するし
感動する。
劇作家の
平田オリザさんとか
ドキュメンタリー監督の
想田和弘さんとかの
本を読んでると
一行一行
感動しっぱなしで
なかなか前に進まない。
赤ちゃんでいうなら
赤ちゃんそのものよりも
赤ちゃんがとっている行動とか
その意図とか
なにを感じているのだろうとか
そんなことのほうが
よっぽど興味がある。
キレイな景色を見たり
観光地に行ったとしても
その場を見て
どうのこうのというよりは
いま、ここにいる自分が
この場所で
何かを感じている
ということを
感じているほうが
充実感がある。
ややこい。笑
そうそう
この間
ビジネスコンサル仲間というか
そういう共通の興味がある友達と
浅草で
着物を着て
街歩きをしたけど
浅草寺に行ったあと
なんだから
物足りなさを感じた。
なんか、もっと浅草感を感じたい!
と、言ったら
どうやらみんなは
すでに浅草感を感じていたらしい。笑
つまらなかったわけじゃなくて
みんなで着物を着て
ワイワイしたのは
楽しかったんだけど
なんだか
ピースが埋まらない感があって
でも
今それがわかった。
お寺や神社って
いつも一人で行くんだけど
そのときは
ぼーっと
ゆっくりと
時間をかけて
今ここを味わって
ただただ
そこにいることを
感じる
ということを、していた。
この前は
その時間がなかったからなんだな
って思った。
最終的には
美味しいもの食べて
みんなとおしゃべりしてたら
かなり心もお腹も満たされたから
結果オーライだったんだけどね。
と、ここまで書いて
わかったこと。
自分はかなり
今ここを
求めているということ。
そして
日常的に
それをやっていること。
そしてそして
その自分の行為を
心の中で
あんまり
良いものだと思わず
殺してしまっていたこと。
自分の充実感よりも
周りの充実感を
優先にしていたこと。
休みの日は
一人でボーッとしながら
本を読むのが好き。
そうやっていうと
決まって
おじいちゃんみたいだね
と言われる。笑
なんとなく
休みの日は
外に出て遊びに行くほうが
いいものだと
勝手に思い込んでいたから
家で引きこもっていることは
どちらかというと
ネガティヴに感じられてた。
そうやって
少しずつ
自分の感覚を
殺してしまっていたんだ。
ごめんよ。
もうそんな悲しいことはしないよ。
安心してね。
いつまでも味方でいるよ。
好きにやって良いよ。
あなたが一番大切だよ。
これからは
そう言ってあげよう。
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