共感の輪をつくる。


きのう猪鍋を突きながら、こんなことを思った。


なんてことはない。ファンクラブをつくる!という宣言をしただけだ。といっても、なにか確証があったわけではない。内側から湧いてくる何かを感じ、その場にいた人生の先輩に「ファンクラブをつくります」と伝えたら、「お、いいじゃん」とその人は言ってくれた。だからFacebookに書いたのだ。


なんてことはない。ただそれだけのこと。しかし、このファンクラブをつくりたいという想いはさっとんの心のなかにずっと秘められていたような気がする。たしか同じようなことを3年前にも考えていたような気がする。いつの間にか忘れてしまっていたその想いが、猪鍋をつついている内にふつふつと煮えたぎってきたのだ。猪鍋のように。(正確には猪しゃぶしゃぶを食べていたが)



ファンコミュニティは暗い扉を開く鍵となる。

ファンクラブをつくりたいのは理由がある。というか、理由を考えてみた。それもずっとさっとんの心のなかにずっと秘められていて、カビの生えかかった味噌床のようになっていたものだ。


さっとんは学生時代何故か息苦しい思いをしていた。この前の記事に書いたように、鬱になったり引きこもりになったりするほど深刻な問題ではなかったのだが、じわじわと自分を檻の中に閉じ込めるように感情を殺していった。とくに「好奇心」という感情が徐々に「劣等感」に奪われていき、さっとんの脳みそは何をするにしても「これは認められるのか?認められないのか?」という天秤にかけられるというシステムが出来上がっていた。


なぜそんなシステムが出来上がったのかは全く想定がつかない。何かがあったのかもしれないし、無かったかもしれない。でも確実に「見えない何か」に意識を奪われ、さっとんの行動の選択肢はその「見えない何か」に支配されていた。


その内に自分の「好き」がわからなくなっていった。どこを探しても「見えない何か」による「認められるか?認められないか?」という基準しか見当たらなくなていたのだ。それはとても辛いことだった。というか、辛いことすらもずっと気づいてなかった。そのくらい当たり前だったのだ。


そんなじわじわと知らないうちに心が蝕まれていく状態を緩和してくれたのは「ファンコミュニティ」だったのだ。同じテーマを好きになった人たちが集まるコミュニティ。これが僕にとって衝撃だった。そのとき自分の「好き」がわからなかったさっとんにとって、その好きなテーマは今考えると本当に好きだったのかどうかはわからない。ただ単に「何かを好きになりたかった」な気もする。でもそんな細かいことはどうでもいいくらい、そのコミュニティに出会ったことは衝撃的だったのだ。そこでひとつの新しい扉が開けたのだ。



狭いコミュニティから逃げるための手段。

ファンコミュニティには、そんな役割と力があるとさっとんは思っている。それは実体験で感じたものだ。それがあったから、今のさっとんがいると言っても過言ではない。今もファンコミュニティに助けられている。


リアルの社会はとても狭いコミュニティなのだ。小学校、中学校、高校、大学に行ってやっと世界が広がる。社会人になると会社という枠の中でまた狭まる。選ぶ環境次第で驚くほどコミュニティは狭くなってしまう。それはとても怖いことである。とくに田舎では、小中高と全く同じコミュニティで暮らすことになるのだから、寒気がする。コミュニケーション能力がある人やスーパーポジティブ人間にとってはそれほど大したことではないかもしれない。しかし、さっとんのような臆病だった人間にとっては、それは恐怖でしか無いのだ。


逃げたくなったらどうするのだろう?人間関係で上手く行かなくて、分かり合えなくて、辛さと悲しさと憎しみと劣等感に覆われたときに、極限の狭いコミュニティで暮らしている人はどうすればいいのだろう?家に引きこもるしかないんじゃないだろうか。


そんなときに手を差し伸べてくれるのがファンコミュニティである。そして、そのファンコミュニティと出会うことが出来るSNSなどの媒体だ。SNSは簡単にファンコミュニティを検索し、参加し、交流することが出来る。そこでもやっぱり少しは飛び込む勇気が必要になるが、リアルで面と向かって飛び込むよりはまだいくらかマシだ。


リアルでは飛び込めなくても、ネットでは飛び込める。ネットで飛び込んでしまえば、ネット上で関係性がつくれる。一度関係性がつくれてしまえば、リアルであうことになっても少しは勇気が出るものだ。ネット上のファンコミュニティはいずれはリアルなファンコミュニティにつながるのだ。だから現状のリアルが辛かったら、どんどんネットに逃げればいいとさっとんは思っている。



共感の輪をつくる。

さっとんはこのファンコミュニティをつくりたい。そして、ファンコミュニティを応援したい。何かしらから逃げようとしてきた人たちが、水を得た魚のようにイキイキと飛び跳ねるような場所をつくりたい。そんなことを考えている。


そして日本各地に「共感の輪」をつくりたいのだ。何かのファンという狭きフィルターを掻い潜ったからこそ生まれる「共感の輪」を。言ってしまえばそれは宗教的であるのかもしれないが、大きくは違っていないような気がする。今でもこの世の中にはたくさんのファンコミュニティが存在している。スポーツだったり、音楽だったり、映画だったり、もっともっとマニアックなものだったり。そこに「自分」というファンコミュニティをつくる。そして共感の輪をつくる。そして、共生するのだ。これ以上語ると少しやばい方向に進みそうだが、そんなやばいものをつくりたいと思う。そして一緒に楽しみたいのだ。この人生を。


あでゅ。


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