すごくならなくてもいい。人間関係の悩みは、「すごくならなきゃ」を手放したらなくなっちゃう。
「人の悩みの9割は人間関係」
と言ったのはアドラーだっけな?
たしかにそうだ。
無人島にいたら大抵の悩みはなくなるだろう。
食うものと寝るとこが確保されてれば
深刻に悩むことはなさそうだ。
食うものも
ひもじい生活をしてても
比べる相手がいなければ悩むこともないだろう。
寝るとこ(住むとこ)も
比べる相手がいなければみじめな思いをしなくても良いだろう。
人間関係の悩みは
誰かと比べることから始まって
劣等感を感じるから起こるのだ。
んじゃあ
なんで劣等感は生まれるのか?
それは「すごい」「すごくない」という
上下の縦の関係性があるから生まれるのだ。
お金をもっているからすごい
お金をもっていないからすごくない
仕事ができるからすごい
仕事ができないからすごくない
恋人がいるからすごい
恋人がいないからすごくない
そんな上下関係があるから悩むのだ。
んじゃあ
そんな上下関係の世界から抜け出すにはどうすれば良いのか?
それは
「すごくなりたい」という考えを手放すこと。
僕はずーっと身を粉にするようにがんばって働いてきた。
でも、それは辛かった。
心も身体もボロボロになった。
なんでそんなに働いてた?って考えてみると
「すごくなりたかったから」だった。
というより
「すごくならなきゃ」って思い込んでた。
すごくならなきゃ食いっぱぐれちゃう
すごくならなきゃバカにされちゃう
すごくならなきゃ認められない
すごくならなきゃ価値がない
そうやって思ってた。
じゃあ「すごい」ってなんだ?
実はそこを考えると
かなりあいまいだってことに気づいた。
すごくなってどうしたいんだ?
って考えてみた。
すると「愛されたいから」だった。
「愛されたい」ってなんだ?
これもかなりあいまいだ。
こんなにあいまいなのに
勝手に「すごくならなきゃ」って思い込んでたのだ。
んじゃあ
僕は愛されていないのだろうか?
じっくり考えてみたらそんなことなかった。
親は島根に移住するって言っても
あたたかく送り出してくれた。
仕事の仲間だって自由な僕をあたたかく見守ってくれている。
怒られることもあるけど
それも見方によっては愛だろう。
僕は勝手に「愛されてない」と思い込み
勝手に「愛されたい」と思っていたのだ。
そして勝手に「すごくならなきゃ愛されない」という方程式を作りあげてたのだ。
ここまで考えると
すごくならなきゃならない理由が見当たらなくなった。
すごくならなくても愛されているなら
すごくなろうとしなくても良かったのだ。
すごくならなくてもいいなら
上下関係に悩まなくても良い。
もし誰かに見下されても
それは相手が勝手に上下関係の世界で生きているからであって
そこに巻き込まれる必要はない。
あー、そう
大変だね
ってスルーでいいのだ。
悩む必要はない。
人間関係が悩みの9割ならば
その悩みのほとんどは「すごくならなきゃ」という思い込みから来ている
だったら「すごくならなきゃ」という思い込みをぽいっと手放せたら
人間関係の悩みは無くなってしまうんだな。
僕らはすでに愛されている。
もうこれ以上すごくならなくてもいいんだ。
あでゅ。
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