自由に生きるphilosophy.


細かいことで評価されるほど、僕らは小さな存在じゃない。


空がきれいだ。こんなときはいつもつけている音楽を消して、外で遊んでいる子供の声を環境音楽にしてボーっとするのが心地良い。



* * *



もう一昨日になるかな?美紀ちゃんのところに美骨矯正に行ってきた。身体の調子が整うだけじゃなくて、リラックスして心の調整も出来るのが美紀ちゃんの施術のいいところ。


エネルギーの通りも良くなって、いつも施術後は放心状態。しばらく心が現実世界に帰ってこないので、美骨の日は他に予定を入れないようにした。


身体にも少しずつ変化があって、慢性的に痛みのあった首と肩は過去5年くらいで一番調子がいい。気を使いすぎて緊張しがちの身体も少しずつ緩んできたみたいで、施術中も身体が素直に動くのが感じるくらい。嬉しい変化である。


最近ブログを始めたらしい。好奇心旺盛で情熱的なところはさすがだなと思う。尊敬する。




* * *



最近は「今もう既にあるもの」に注目するようにしている。出来るなら感謝もするようにしている。自分には住む家がある。今は実家に住んでいる。両親も健在で、決して裕福とは言えないものの食べることに困ることはない。


自分には五体満足な身体がある。問題なく話せるし、耳も聞こえるし、障害と言えるような障害はなく、不自由することは全く無い。


自分には「それなりに」いいルックスがある。最近は「イケメンだね」と言われることも増えたし、「オシャレだね」「センスがいいね」とも言われることも多い。コミュニケーション能力も程よくあるし、第一印象で嫌われることは殆どない。


自分には好きなことが出来る程よい自由がある。決して何でもかんでも出来るわけじゃないけど、自分の意識次第では如何様にも切り開くことが出来る。生まれながら虐げられているわけじゃないし、奴隷として生まれてきたわけでもない。階級や人種で差別されることもない。恵まれている環境に生きている。



* * *



無理やり、ありきたりな日常に感謝しろとは言わないけど、「今あるもの」を集めていけば、今の自分でもなんだか幸せに生きられそうな気がしてくる。むしろ既に幸せなんだなと気づくことが出来る。


今の自分に不満を言って違う誰かになろうとすること、これが悲劇の始まりだ。悲劇は悲劇で、それもエンターテイメントのあり方なので悪いことではない。悲劇を経験することもストーリーのひとつだ。


でもいずれ気がつくだろう。本当に求めているものは「別のところにある」ということを。


今の自分は今のままで充分素敵だ。もちろん完璧ではないかもしれないけど、言ってしまえば人間は死ぬまで完成されることはない。なんなら死んでもこの旅は終わらないのだろう。出来ないことがたくさんあっても、いたらないところがたくさんあっても、地位や名誉や立派な肩書、経験や能力がないと感じていても、それは僕らの評価には全く関係ないことだ。


そんな細かいことで評価されるほど、僕らは小さな存在じゃない。個々が個々として、しっかりと存在している。誰かを納得させたり、認めてもらうために、あれやこれやと手を尽くす必要など全く無い。私は私以外の何でもない。私は私なのだ。





自由に生きるphilosophy.