自由に生きるphilosophy.


ネガティブなものを無視する勇気。


毎日、日記的なものを書こうと思ったのに、2日目にして書こうと思って寝落ちしてしまった。だから昨日の出来事を書く。



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渋谷に行く予定がったので、ヒカリエの8Fに行ってきた。アートや展示の空間に行くとホッとする。単純に落ち着いた空間がつくられているというのもあるけど、丁寧にエネルギーを込めてつくられたものを感じるというのは、ホッとするという感情に近づけるのだなと思った。


渋谷駅の西側はすっかり開発が進み、なんだか知らない街のようになってた。いつの間にかでっかいビルがそびえ立っていた。



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渋谷に立ち寄ったのは、演技のレッスンがあったから。前にちらっと書いたことがあったけど、今演技のレッスンを受けている。といっても今のところは声の演技だけだけど。なんで声の演技なのかというと、声優のお仕事をいただくことになったから。今はそのための準備をしているということ。


はじめての経験なのでちょっとした役だろうけど、今のご時世、声優を目指している若者たちはたくさんいるだろうに、お世辞にも「声優を目指している!」とは断言できない自分がこういう機会を与えられるのは、とてもありがたいことだと思う。


声優は目指してなくても、演技の世界には興味があるし、ミュージカルに出るのが夢でもある。声優だって目標ではなかったものの、やってみたいことのひとつでもある。表現という分野であれば、なんでもチャレンジしていきたい。



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この前、イベントスタッフのバイトをしているときにふと思ったことがあったから、メモがてらシェアしておく。意識を向ける方向は大きく分けて2つしかない。ポジティブなものとネガティブなものの2つ。これはバシャールの言っていることなんだけど、なんか急に腹落ちした。


意識の仕組みはとても単純なもので、ポジティブな方向に意識を向ければ、ポジティブなエネルギーが増幅されるし、ネガティブな方向に意識を向ければ、ネガティブなエネルギーが増幅される。どっちが良いとか悪いとかではなくて、世の中はそういう仕組みになっているという話。


今この瞬間に「どっちの方向に意識を向けているか?」これってほとんど意識していないことが多い。無意識にしていると、自然とネガティブな方向に意識を向けていることがたくさんある。エイブラハムは著書の中でこの無意識をやめて「意識的に創造しよう」と何度も何度も言っている。


わざわざネガティブな方向に意識を向けることなんてないんだから、意識的にポジティブな方向に意識を向けようよ、ということだ。


いちおう念のため言っておくと、ポジティブな方向に意識を向けるのと「言葉だけ」ポジティブな言葉を使うのとは全く違う。大事なのは意識なのであって、さらに言うとその時に生まれる感情のエネルギーがどっちを向いているかということなのである。


とはいえ、急に「ネガティブな方向を見ないで、ポジティブな方向を見なさい」と言われてもなかなか出来るものでもない。その理由はいろいろあるけれど、昨日発見したことはネガティブなものを無視することが怖い」からだ。ポジティブな方向を向くには、ネガティブなものを無視する勇気が必要なのだ。



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たとえば、仕事で上司に怒られたとする。上司に怒られたという事実は解釈の仕方によれば、ポジティブにもネガティブにもなり得る。


たとえ怒られたとしても、その理由は無数にあるし、自分一人が悪いわけではない。そもそも組織の仕組みが悪いのかもしれないし、上司のマネジメント能力不足なのかもしれない。だから自分を責めてネガティブになる必要なんて全くない。


そうやってネガティブな要素を放置できればいいのだけど、ネガティブに囚われてしまう人は「自分は本当にこのままで大丈夫なのだろうか?」と振り返ってしまう。そして、わざわざネガティブなことを考えて、ネガティブなエネルギーを発してしまうのだ。


ネガティブに考えてしまうのは反射神経的なところもあるので、その場合は仕方がないけれども、反射的にネガティブなことを考えてしまった後に、「あれ、自分の望んでいるものはなんだっけ?」と振り返り、「怒られることじゃないよな、よくやったって言われることだよな」と意識を向ける方向を修正することは出来る。


これを本当に一瞬一秒丁寧にやることが、理想の現実を創ることに繋がっていく。


思ったよりシンプルで簡単なことだし、簡単だけどもコツコツとやるからこそ結果に繋がるものでもある。何事も積み重ねが大切なのは変わりない。日進月歩である。



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これを意識的にやっていると気づくことがひとつある。思ったよりも「考えなくてもいい」ということだ。言い換えると、これまで「無駄なことばかり考えていた」とも言える。


このお話はまた今度にしよう。





自由に生きるphilosophy.