「いらない」ときは「いらない」とちゃんと言おう。じゃないとコーヒーと蕎麦を一緒にテーブルにならべることになる。
しばらく実家に滞在すると
いつも思うこと。
それは
いいよ、自分でやるから...
ということ。
まぁ
どこで何をやっているか
わからない
(おそらく本当にわかっていない)
たまに帰ってきた
息子なもんだから
いろいろやりたくなるのはわかる。
その気持ちは受け取ろう。
ただ
気持ちだけにさせてくれw
いろいろやってくれる
ということは
とてもありがたいことなんだけど
この弊害として
自分のペースを乱される
ということが起きる。
今朝は昼前に起きたんだけど
起きて早々
きのうから始めた
スマホゲームを電気もつけず
淡々とやっていたら
お昼を過ぎてしまった。
腰も痛くなってきたので
のこのことリビングに起きていったら
親父が
すでに半分くらい準備されていた
蕎麦をつくってくれた。
これはもちろん
ありがたいんだが
さっとんが
その瞬間何をしたかったかというと
コーヒーを飲みたかったのだ。
しかも
「コーヒー飲もっ」
と言って
お湯を沸かして
カップの準備して
コーヒーの受け入れ準備をしていた。
そして
その5分後には
実際にコーヒーを飲んでいた。
起きたら
コーヒー飲みながら
PCを開いて
ブログを書くのが日課みたいなもんなので
今日もそんな感じだったんだけど
今、テーブルの上には
コーヒー
と
蕎麦
があるのだ。
決して相性が良いとは言えないコンビだw
いま、ちゃんと蕎麦を断らなかった自分に後悔しているw
んで
これね
従来こういうことを話すと
いいじゃん
愛されてるじゃん
ありがたいじゃん
感謝じゃん
だから
我慢しようよ
という文脈で語られがちなの、わかる?
まぁ
なにもしてもらえない家庭環境で
育った人からしたら
うらやましい光景なのかもしれないし
もちろん感謝してるんだけど
これな
毎日だと、ウザくなるんだw
親に申し訳ないからとか
社会的に恵まれているから
感謝しないととか
思って
我慢していると
自分のペースで
ご飯を食べたい
コーヒーを飲みたい
好きなようにやりたい
放っておいてほしい
という自分の気持ちをおろそかにしていることになるので
自分を大切にしていない!
自分を生きていない!
ということになるのです。
せっかくやってくれたんだから
じゃなくて
いま、どうしてほしいのか?
という気持ちを大切にして
いまは欲しい
いまはいらない
という
今の気持ちを
ちゃんと意思表示していくことが
とっても大切なんだなと
思いました。
さて
蕎麦くおう。
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