自由に生きるphilosophy.


「満たされない感」が埋まらない人は、あえて不便を味わってみるとよろしい。





さっきこれ書いたけど







スマホで写真を撮るのと


一眼レフで写真を撮るので


撮る対象が変わったのね。







スマホだと


気軽にとって


SNSにアップできるから


とりえず撮っておけばいいし





さくっとアプリで加工すれば


それなりにいい感じになるから


撮る瞬間よりも、加工することのほうが大切だったりする。







でも


一眼レフだと


撮ったところで


とりあえずPCにアップロードしなきゃいけないし


修正するのも


サクッとアプリでやってしまうのも


なんだかもったいないから


細かくやりたかったりもする。


だから時間がかかる。









だから自然と









ひとつひとつを厳選するようになる。









この


ひとつひとつを厳選する


という行為が


とても大切だなと思ったのだ。









一眼レフとはいえ


デジカメなので撮るときは


いろんなのをとりあえず撮りたいだけ撮る。


ここまではスマホで撮るのと同じ。









でもそこからPCに取り込んで


編集して


なおかつブログにアップする


みたいな工程を踏むと


たくさん枚数があると








めんどくせぇぇっぇぇ









となる。












そのときに気づくのだ。








自分が本当に撮りたいものは、何なのか?








ということが。







さっとんの場合は


PCに取り込んで


編集作業に移ろうとしたときに


自然の風景の写真を見ても


ワクワクしなかったのね。


編集してブログにアップするほどでもないなって。







でも


働く人が映っていたり


なんだか歴史を感じられる看板とか建物とか


そういうのには


「あ、こんな感じにしたい」


って編集するイメージがわいてくる。








同じ風景でも


大洗町で撮った


漁港の風景は


なんだかそこで働く人の力みたいなものが


感じられた気がしたから


好きになった。











写真に関わらず


手間を省きすぎると


なんでもありになってしまって


「本当はどうしたいの?」


っていう大切なものが見えなくなっちゃう。









不便だからこそ


自分の本当に大切なものと向き合うことが出来るのだ。








手間をかけてご飯をつくらなければならなければ


わざわざ時間をかけて好きじゃないものをつくりたくないし







手持ちのお金がなければ


無駄なものを買うのを躊躇するよね。






貴重な時間やお金だから


好きなものだけに使いたいじゃない。








なんでもありになってしまうと


無駄ばっかり増えてしまうから


なんだか満たされているようで


本当に手に入れたいものと向き合えてないから


「満たされない感」がつきまとってくる。







だから


「満たされない感」が埋まらないひとは


わざと不便を味わってみるといいよ(´▽`)


自由に生きるphilosophy.