自由に生きるphilosophy.


本音を語ろう。自分に嘘をついてまで、誰かに振り向いてもらう必要は全くない。



情報を発信する


自己表現をするということは


とても楽しいことだ。




とても素敵なことだ。





でもこの素敵な行為を


「見てもらいたい」がために


行使してはならない。





それは君という存在を歪めることになる。









人に見てもらうための発信


ということ自体を悪いとは思わない。





でもその行為がもたらす副作用に染まる覚悟は


果たしてあるのだろうか?








誰かに振り向いてもらうために


誰かに振り向いてもらうことに


貴重な人生という時間を費やす意味は


果たしてあるだろうか?







自分を歪めてまで


そんなことをする必要はあるだろうか?











本音を語って、その想いに共感をしてくれる人と


嘘偽りについて来てくれる人と


どちらを大切にしたいと思うだろうか?









僕は前者を大切にしたい。


たとえ少数派かもしれなくても


その想いに共感してくれるのであれば


むしろ少数派だからこそ大切にしたい。








その先に喜びがあると思っている。










誰かに見てもらうために


ノウハウや戦略を考えた時代は確かにある。




しかしそれは


情報が今よりも圧倒的に少なくて


そもそもの選択肢が少なかった時代だ。






でも今は違う。


情報は無数にあり


必要な情報は検索すれば簡単に手に入るようになった。






ノウハウや情報に


人々はお金を払う価値を感じなくなった。


無料で手に入るのが当たり前になったから。








そんな時代だからこそ


価値観が大切なんだ。


ノウハウや方法論は無数にある。


結果が出る以上、どれも正解である。







でも僕らは


結果以上に


納得感を手に入れたいと思っている。







結果を手に入れるだけでは満足ができない。


納得した考え方とやり方で


結果を手に入れてこそ


人生を楽しめるということを


遺伝子レベルで感じ始めている。








その納得いく考え方ややり方というものが


価値観であり


本音だ。









だから本音を語ろう。


誰になんて言われようと


たとえ多くの人が共感してくれなくても


ひとりでもついてきてくれる人がいるのであれば


その人を大切にしよう。








その人を信じ


自分を信じるものを歪めないことが


自分を生きるということだ。


自由に生きるphilosophy.