心は知ってもらいたいと飢えている。
私の好きを思い出す旅。
我ながら
いいテーマだなって
思った。
私の好きを
忘れてしまっている人って
多いんじゃないかな?
自分には似合わないとか
釣り合わないとか
年齢的にどうとか
派手すぎるんじゃないかとか
値段が高すぎるとか
自分らしくないとか
そんなこんなで
私の好きを
蔑ろにしてしまう。
さっとんも
かれこれ
30数年間の人生
私の好きを
蔑ろにし続けていた。
選ぶ基準は
いつも
他人にどう思われるか
だった。
自分が
どうしたいかなんて
そっちのけ。
仕事だって
自分は半人前だからって
過酷な環境に飛び込んで
身体を壊す始末。
それもこれも
私の好きを
蔑ろにした結果だよね。
今は一生懸命働くより
のんびり
自分の時間を大切にしたいって
思う。
今朝、いつものように半身浴をしてたら
急にイライラ、モヤモヤがやって来た。
それは
文章を書くことについて
自分の表現方法について。
こうやって書く文章を
どうやったら
もっと多くの人に届けられるかな
って考えてたら
ついつい
もっと
感動的にしようとか
グッとくるものにしようとか
ノウハウ的なことを
考えていた。
そしたら
イライラ、モヤモヤ
やり場のない苛立ちに
あー!
ってなって、軽く
壁を殴る。
これ、
最近よくあることなので
いつもの儀礼だと思って
放っておく。
落ち着いて来たら
感覚を研ぎ澄ます。
私は何を求めてるの?
私はどうしたいの?
落ち着いて、自分に問う。
帰って来た応えは
ありのままを伝えたい。
だった。
さっとんの心は
ありのままを、そのままを知って欲しがっている。
おそらく
今まで隠して来たからだろう。
上に書いた
好きと一緒で
他人に気に入られるために
ありのままを隠して来たから。
心は知ってもらいたいと飢えている。
書き方とか
見せ方とか
ブランディングとか
世界観とか
放っておいて
私のために
私のままを書く。
嘘偽りなく
飾らず
他人に求めず
ただただ書く。
これが
私の求めるものなんだ。
そして
これが私の自己表現で
私の好きなんだ。
今日もひとつ
私の好きを思い出す。
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