イス取りゲームをしていた自分にはわからなかったこと。世界は優しくて、自分が思っている以上に自分には味方がいる。
休みの前日恒例の連投。
ふと
思ったのでした。
昔から
自分はオリジナリティをはっきしなきゃダメだ!
って思うことが多くて
誰もやったことがないこと
とか
自分だからなし得ることをやらなきゃ
とか
そうやって
自分に制限かけちゃうことが多かった。
例えるならば
イス取りゲームをしている感覚かな。
イスを取られたら
同じように自分は成功できないとか
成功うんぬん以前に
なんかわかんないけど
ダメだって
思い込んでた。
まぁでも
振り返ってみると
それがあったから
おもしろいアイデアとか
発想を生み出す
ことにエネルギーをたくさんつかって
そういう頭が出来上がったから
通るべき道だったのかもしれないけどね。
んでね
けっきょく
いまの自分が
発信していることって
引き寄せの法則であって
根本にはエイブラハムの言葉があって
エイブラハムといえば
happyさんという
引き寄せの法則で
成功した有名人がいて
同じことをしても
意味ないなって
思ってたし
つまらないなって思ってたから
どうにか
オリジナルなものをつくれないかなって
思ってた。
マネになるのが嫌だったから。
でも
エイブラハムの言葉は
とてもベーシックなものだから
マネも何も
もっと大きな世界のものだったりする
それを発信することで
ビジネスにつなげたり
セミナーやってお金を稼ごうとか
その発想自体が
ちょっと的外れだったのかも。
だって
心が救われたいから
仏教を勉強を勉強しているのに
仏教をどうやって伝えれば
お金を稼げるだろうとか
考えないもんね。
エイブラハムの言葉は
なんのためにあるかというと
自分が幸せになるため。
幸せっているのは
人それぞれあるもので
別に誰かと比較するものじゃないし
イス取りゲームなんかじゃない。
イスは無限にある。
むしろ自分でつくることさえも出来る。
それを
理解できてなかったのかなって。
そして
ここからが本当に伝えたいこと。
前に本屋さんの学校をつくりたいって書いたよね。
暇な本屋さんの学校。
↑これ、名前ね
前々から思ってた
学校をつくりたいって夢と
最近生まれた
本屋さんになりたいって夢。
どうせなら
がっちゃんこさせちゃえ
ってことで
本屋さんを学校にしちゃえばいいじゃん
という発想。
本屋さんを未来の学校にしようぜ!
という、たくらみ。
制度とか法律とか
めんどうだったら
まずは
引きこもりとか不登校の子たちが
平日の午前中にでも
くればいいんじゃね?
って、たくらみ。
さっとん自身も
いろんな心の悩みがこれまであって
身体を壊すくらい悩んで
迷って
過去の自分を卑下して
いまの自分をおろそかにして
心をしめつけていた。
そんな経験があるから
やっぱり
自由に生きるって
ことを
どうすればいいのか
もっと体得したいし
自分が生きることで
伝えられるなら伝えていきたい。
表現をしていきたい。
新しい学校には
カリキュラムなんか無いけど
この
引き寄せの法則
もしくは
思考の現実化
については
もっともベーシックなものとして
学んでもらいたいものなのね。
だから
かんたんにいえば
引き寄せの法則の学校を
つくりたい、と。
happyさんが
先行して
こうやって
エイブラハムの言葉を
世に伝えてくれているんだから
それに乗っかっちゃえばいいのにね!
むしろ
力を借りて
手伝ってもらえばいいじゃんね!
イス取りゲームをしていた
自分には
そんな発想は
一切なかったから。
happyさんに限らず
シンクロニシティとか
そんなことを発信している人は
たくさんたくさんいるのに
なにを
勝手に
敵対視してたんだか。
世界はもっと優しい。
自分が思っている以上に
味方はたくさんいる。
そうだよね。
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