自由に生きるphilosophy.


無意識に「人に気をつかう」のは危険だから、やめよう。


パパッとFacebookを見ていたら、たまたま見かけたhappyさんの記事。



タイムリー過ぎて、ああそうそう、うんうん、と深く思ったのでシェア。




僕らは常に気をつかっている。


happyさんの記事に書いてあること。


これって、かなり日常的なこと。




①そろそろ保育園の送り迎えをやっておかないと先生からどう思われるかが怖くて送り迎えをした。

②作ってもらった焼きそばが置いてあった。悪いなと思って食べた。本当はお寿司が食べたかった。

③喋りたくないのに対応した。あまり気分が乗ってないのに一生懸命話しを聞いて喋った。

④体が疲れてた休みたかった。でもニューヨークの個展のために作り続けた。

⑤本当は東京でいつも着てるような服を着たかった。でも派手だと変な目で見られるから着なかった。着たくない地味な服を着た。

⑥会いたくないなーという人の誘いを断れなかった。なんとなく、断ったらかわいそうな気がして。



(いや、そんなことないし...というやつは帰ってもらおう)



僕らは普段から、かなり人に気をつかっている。


気をつかうことが仕事なんじゃないかというくらい。


気をつかうことが大好きだ。


(さっとんは、大嫌いだ)



世の中には気をつかうことが普通な人もいるんだろう。


ただ、さっとんを含むそれに疲れてしまう人もかなりの数いるはずだ。




無意識に気をつかい、無意識に疲れている。


この記事を読んで、はっとした。


さっとんには、まだまだやらなきゃやらなきゃと追いかけられていたことに気づいたから。





・気分が乗らないのに、機嫌よく挨拶しようとしていた。

・話したくもないのに、シカトするのは申し訳ないから話していた。

・思ってもいないことに対して、笑顔でうなずいていた。

・電話に出たくないのに、ワントーン声を上げて電話に出ていた。



などなど。


たぶんもっとたくさんある。




これらを無意識に続けていた。


そして、無意識に疲れていた。





やりたくないことをやめてみる。


疲れているなら、体に良くない。


そうだ、体に良くない。


なので、やめてみた。




・笑いたくないときは笑わない。

・無理に話を合わせない。

・適当に挨拶をする。

・むしろ挨拶しない。




などなど、もっとある。




そしたら、あら不思議。


すっきりと生活できるようになった。



すっきりと生活ができるようになったら、我慢していたことが我慢しないでできるようになった。


自然と笑ったり、挨拶ができるようになった。


これは本当に不思議である。




簡単にできることから、やめてみよう。


今この瞬間、この記事を読んでいるあなたはきっとお疲れなはず。


そんなあなたにおすすめしたい。


なにかひとつをやめてみよう。



たとえば、朝早く起きるとか。




とくに女性はやめても大丈夫なことってたくさんある。


なんでかって?


それは世の中の男性は女性が不機嫌になると「危険」を感じるからなのだ。


だから、大丈夫。



自由に生きるphilosophy.