自由に生きるphilosophy.


人間は可能性に満ち溢れている。


先日から東京にやってきている。大切な仲間たちの雄姿を見届けに。そして、それを応援するために。


心のことと情報発信でどうにかこうにか自分を突き抜けたいと思っていたさっとんは、るんあゆオンラインコンサルに参加していた。1期の卒業生である(卒業という概念があるのかどうかは置いておいて)。そして、今は2期のサポートにまわっている。今回はそのオンラインコンサル生の我が身を崖から突き落とすくらいのチャレンジの場だったのだ。



挑戦するということは尊いことだ。

結果的に今回の場はとても良いものになった。挑戦することはやはり尊いものだとあらためて感じた。人前で自分の持っているコンテンツのことを話すことはとても大変なことだ。慣れてしまえばどうってことないのだが、経験の無い人にとっては本当に勇気のいることなのだ。


飛び込まないことには前に進まないというのが人生の原則だ。怯えたままチャレンジしなければ、人生は全く前に進まない。それはそれは生きた心地のしないつまらない人生になってしまうと、さっとんは思っている。


しかし、それが簡単にできていたら苦労はしない。これは誰でも同じだろう。挑戦できない人を卑下する権利は誰にもないとも思っている。


勇気を出せるようになるには出会いが必要だ。刺激的な出会いがなければ、勇気を出す必要なんか無い場合もある。それはぬるま湯に遣ったまま茹でられてしまう蛙のようなものだ。



人間は皆、可能性にあふれているが、「タメ」が必要だ。

勇気を出している仲間たちの姿を見て、サポートしているこちら側が勇気をもらった。本当に感動的だった。エネルギーに満ち溢れていた。そして、人間は可能性に満ち溢れていると素直に思った。


人間は皆、可能性にあふれているのだ。ただそれを自分で気づいていないだけで。ただ、可能性にあふれていてもそれがすぐに結果につながるというわけではない。結果をつくるには「タメ」が必要だからだ。人を巻き込み、巻き込まれ、信頼感をつくり、ファンを作る「タメ」が必要だからだ。


だいたいの人はこの「タメ」の存在を理解せず行動し、結果が出なかったことに対して落胆してしまう。そして、諦めてしまう。さっとんもこのことをつい最近まで理解していなかった。すぐに結果を求め、焦り、諦めてしまっていた。


でも、今回の会を見届けて、人には可能性があり、「タメ」さえあれば結果につながるということを目の前で見せてもらうことが出来た。もちろん何百万という大金を稼ぐためには、それなりのスキルが必要になってくるだろう。でも、その人の魅力を表現するだけなら、それほど難しくはないだろう。



心の葛藤が本当の魅力である。

さて、自分はどうなのだろう?自分の魅力は何なのだろう?最近の自身の課題が常に頭の中に浮かんでいた。何をさらけ出すのが自分の魅力の開放につながるのだろうか?本当に自分ではわからないものだ。


ただ一つ感じたのは、もうありのままを表現するしかないということだ。劣等感もコンプレックスも葛藤も何もかも。それがこれからの社会を生き抜いていく、ひとつのスキルなんだと実感した。この覚悟ができた人から、ひとつ頭を飛び出すことが出来るのではないだろうか。


こうやって表現していくことが武器になる。それは間違いない。でも、ありきたりで泥臭さやえぐみが無い無味無臭の発信は何も面白くない。誰でも言える蒸留された発信をしても意味がないのだ。


そのあたりがとても葛藤なのだ。具体的な悩みや考えをもっと発信していきたい。それがこれからの社会を生き残っていく術だからだ。でも、それを実現させるには身の回りの人をその発信の中に巻き込まなければならない。


例えば、仕事のことや人間関係のことを発信しようとすると、誰かに迷惑が掛かってしまう場合がある。誰かの嫌悪感につながる場合もある。そのことを考えると具体的な発信ができずに抽象的で無味無臭な発信になってしまう。そこをどうするかだ。


そこはもうあきらめて開き直ってしまうのか、ぐっとこらえて別の方法を考えるのか。と、書いておきながら別の方法を考えていくということはなかなか簡単なことではない、忍耐力が必要だ。


島根にいると考えが理解されなくて(勝手に思い込んで)苦しい時がある。こうやって自分のホッとできるコミュニティのことを発信することは、ぶっちゃけ躊躇することでもある。出会う人出逢う人に感謝もしているからなおさらだ。


その感謝の相手を裏切ってしまうんじゃないかって、常に思っている。それが裏切りになるのかなんて、確認していないのでわからない。これも勝手に思い込んでいることなのかもしれない。でもそうやって自分のことを押し殺してまで、人に気をつかうということはとても苦しいことなのだ。さっとんにとっては。


人との付き合い方をあらためて考える時期なのかもしれない。本当に大切にしたい相手は誰なのか?いや、本当に大切にしたい相手は「自分」以外の何者でもない。自分のことを大切にするというのは、自分の感情を第一優先にすることである。ということは、答えは明確なのである。


しかし、まだまだ葛藤は続きそうだ。


と、ここまできのうの夜に書いて、眠すぎて朦朧としながら書いたので文章にまとまりがないような気がするが、このまま残しておく。現在、羽田空港で待機中。やはり出発が遅れているらしい。


上で「武器」という言葉をつかったが、何のための「武器」なのだろうか?「武器」を持つ必要なんかあるのだろうか?空港のラウンジを歩きながらふと思った。なんのための「武器」なんだろうか?


僕らは「武器」を得ることに必死になりすぎているのではないだろうか?「武器」がないとどうにもならないと思っているのではないだろうか?


もう少し考える必要がありそうだ。登場の時間が来た。


あでゅ。


自由に生きるphilosophy.