天命の問1.「ピンサロいこーぜー」と言われたらどうする?

年末年始といえば

一年のふりかえりと目標設定。


だいたい自己満足になって

忘れてしまうんだけど

それはそれでいいだろう。


きのう天命と文章問題のことを書いた。


★人生から逃げんな、目をそらすな、立ち向かえ。|自由に生きるphilosophy.


せっかくなので

この文章問題を解いてみよう。



問1.


さっとんは昔から人目をうかがってばかりいた。


家庭で親の目をうかがっていたかどうかは

いまいちわかんないんだけど

迷惑かけないようにいろいろ気にしていた気もする。

結果的に迷惑かけたけど。


小学校くらいから

なんだか自分とまわりの当たり前

違うことに気付き始めてきた。


うちの家庭はどちらかというと

恵まれているほうで

なんでもしてくれる親だった。

困ったことは何もなかった。


でも逆に

家庭は不安定だけど

なんでも自分で出来て

自分勝手で自由な友達をかっこいいと思った。

し、ぬくぬくしたところにいる自分が恥ずかしくて

劣等感をかんじていた。


だから

自分が言っていることやっていることが

まわりと同じなのかどうか

恥をかいてないか

恥をかくことなならないか

そんなことばかり考えてた。


そのうちに自分の好きなことや

自分の本当の気持ちを表に出さなくなった。


いまでもそうなんだけど

公の場所でそれっぽいことを言うのは得意なのだ。

でもそれは本音を隠すための理論だったのかもしれない。

こうやって文章書いてるけど

もっとシンプルに本音を書くことはできるんだろうなって思っている。

(書かのが好きだから、良いんだけど。)


さて、さっとんの天命はなんでしょう?



問1.の解


ポイントは

自分の言うことややることがまわりと違うからって

自分を否定する理由は何もないということだ。


あーそうなんだー


で済むことなのに

大げさに「こんな自分はダメなんだ」と

考えてしまっているということ。


この問いの答えは

「自分が自分であることを認める」

ということだ。


自分が自分であること

自分が生まれてきた環境は

変えられない事実である。


それはそれで認めて

そうやって生まれてきた自分は

唯一無二な存在

それで良いんだと認めること。


他人がどうとかじゃなくて

自分はこう。


もし他人のことを

うらやましく思ったり

知らない世界を知って

興味が湧いたら

その興味に素直に従うこと


そこに恥ずかしさや

惨めさは全くいらないってこと。


いまでも覚えているんだけど

高校生のとき

休み時間に

「こんどピンサロいこーぜー」

みたいな話になった。


そのとき一緒にいた友達のなかには

そういうのを経験している人もしたことない人もいたけど

経験したことがない友達が

めっちゃ目を輝かせて「行きたい!行きたい!」と

前のめりになっていた。


「お前がっつき過ぎだよ」

みたいな話になったのは想像できると思うんだけど

その友達は笑っていた。


「だって行きたいんだもん!」

そりゃそうだ。

素直な気持ちだからしょうがない。


僕はといえば

もちろん興味はあったけど

未体験ゾーンに足を踏みしれることに

ビビってしまっていた。


しかし

ビビっていたことを

オープンに出来ていたらまだマシだ。


「行きたいけど、はずいーーーいやだーーーこわいーー!」

って言えたら、それはそれで素直だからだ。


僕は残念ながらそれすらできなかった。

平気なふりをしながら

ちょっとビビりながら

この話がどこに着地するのかを見届けるだけで精一杯だった。


けっきょく

自分のとる言動へのリアクションを想像して

恐れてしまっていたのだ。

もちろん勝手な想像だ。


さっとんの人生は

大なり小なりこんなことばっかりだった。

だからこれを乗り越えることは神様が与えた試練なのだ。


ってこんなことを書きながら

おれってめんどくさいやつだな

もっと素直に文章かけねーのかな

天命の問いとか言っておきながら

ただ恥ずかしがり屋を克服したいだけなんだな

とか思ってしまったけど

こんな表現しかできないのも自分なのだ。

(と言い聞かす)


自分がどれだけめんどくさいやつだろうと

どんなことに悩んでいようと

どんなことを望んでいようと

それはすべて自分にとっての正解なのだ。


だからまわりと比べなくて良いし

まわりと違うことを楽しめばいいし

知らない世界に興味を持ったら

素直に飛び込めばいいのだ。


問2.は次回に続く。

あでゅ。


自由に生きるphilosophy.