何度も何度も手探りで、心躍る感覚を見つけていく。
アートと呼べるものに携わることになった。今日はその打ち合わせ的なものをした。その時間はとても心躍るものとなった。そうだ、この感覚だった。自分が欲しかったものは。
何かを生み出すとき、何かを創り出すとき、対象の内面を深く見つめて柔らかい部分を探す作業をする。そして、その柔らかい部分をどうやったら表面にあぶり出すことができるのかと考える。これが表現というものだと思う。
そして、その過程自体がとてもアート的であり、体験型でありアトラクションのように感じる。時代的に言うなれば "リアルVR" という、そもそもそれってVRじゃないじゃん普通じゃんというような言葉で表現してみるけど、とてもエキサイティングな作業だということを思い出した。
なんだか最近つまらないなと感じていたのは、この "エキサイティングな衝動" とも言える表現の過程を無視していたからなんだろう。ひとつのものを創るにしても創り方は無限にある。その無限の選択肢から最も心躍るものを模索して選び抜くことが個性となり、その感性が才能となる。
やり方は無限にある。だから無限に試してみる必要がある。でも自分が心躍るポイントは必ずあるし、何となくの方向性は感覚的に理解できる。何度も何度も繰り返して、この感覚を精密にしていくこと、ポイントに近づくことがアートにおいても、生きるにおいても大切なんだろう。
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