自由に生きるphilosophy.


共感の生み出し方。人はすでに知っていることを知りたがっている。



頭ではわかったつもりでも


ぜんぜんできていないことはたくさんあって。




むしろそんなことばっかりで


げんなりするけど


まぁまぁそれも人生である。






前にFacebookを見てても


全くときめかない


という内容のことを書いたけど


逆にときめくものってなんやねん!


とアンテナを張り巡らせていた。






そしたら


どうやら


発信者の「価値観」にときめいていることに


気づいた。








価値観はその人自身である



この人の発信は好きだな


また見たくなるな


と思うものを見ていくと





ぶっちゃけ


その内容には


ほとんど意味がないと


気づいた。







ぼくは情報を得ることで






何を知りたいか?





というノウハウ的な情報ではなく





この人は何を考えているのか?





に興味を示していた。





そして、その人自身を知りたかった。









価値観は意見であり世界観である



ぶっちゃけ内容はどうでも良かった。


大事なのは、その人が何を考えているのか?


であって


その人の言っていることに共感できるかどうか?


ということだった。





そして


共感できることはどういうことかというと


その情報は


もうすでに知っている


ということになる。







もうすでに知っていることを人は求めているのだ。









人はもうすでに知っていることにお金を払う



人はもうすでに知っていることを


あらためて確認するために


わざわざ仕入れに行く。





なんなら大きなお金を払ってまで


得ようとする。






人はお金を払ってまで共感したいと思っている。


共感することで所属するという欲求を満たしているとも言える。








あえて特別なことをやらなくても良い



人は共感したいがために


わざわざすでに知っていることを


確認するために情報を取りに行く。






だからもし共感を得たいと思っているならば


特別凄いことなんてやらなくてもいい


みんながすでに知っていることを発信すればいい。





みんながすでに知っているから


そこに共感は生まれていく。




ただしその言葉は


自分の意見でなければならない。


そこは間違えてはならない。




のだ。



自由に生きるphilosophy.