自由に生きるphilosophy.


理由を捨てようと思ったら、上手くいかなかった。





ふと

理由を

捨てたいと

思った。







よし

これはいいや

と思って

とりあえず

頭の中で

やってみた。







そしたら

すぐに

上手くいかないことに

気づいた。









例えば

目の前に

イチゴがあって

それを買って食べたとする。






とくに

意味を持たずに

イチゴを手にとったとしても

目の前にあったから

という

理由が残る。







んじゃあ

目をつぶって

手に触れたものを

手に取ろうと

思ったとしても

それは

目の前のものを取る

という

理由から逃れるため

という

理由が残る。










どうにかして

ランダムで

選ぼうとしても

理由から逃れるために

ランダムに選んだ

という

理由が残る。










どうしても

理由はつきまとってしまう。









ここで

理由を捨てる

という

遊びは

終了した。










でも

理由は捨てられなくても

理由を忘れることは

できるのかなって

思ったり。











いやむしろ

理由を捨てることを

求めて

人生という

時間を費やすのも

いいかもしれない。








もしかしたら

どこかで

理由を捨てられるときが

来るかもしれない。










理由を捨てようとする

ことは

できるのかな。










自由に生きるphilosophy.