音楽で食えていないなら、今すぐ音楽をやめてでもやるべきことがある。
音楽の話をしたのでおまけとして。音楽について。これからの音楽はコンテンツではなく、ツールとして使っていかないと厳しいんじゃないかと思う。メモがてらに。
コンテンツとしての音楽は終わっている。
音楽を買う時代はもう既に終わっていると思ったほうが良い。アーティストによってはApple musicなどで配信していない場合もあるので、まだ買わせる気でいるところもあるが、時間の問題だろう。
音楽はどんどん垂れ流しになっていく。
音楽はツールになる。
コンテンツとして売れなくなった音楽は、表現の方法としての音楽になる。というか戻る。音楽に価値を持たせて値段をつけだしたのがいつだかは知らないが、もともと音楽は儀式やお祭りのために生まれたものだろう。
だからもともとはタダだったはずだ。(といっても、そんな太古の話をしてしまったら、なんでもタダになってしまうが)
これからはわざわざお金を払って買うものではなくなり、表現の手段としてのツールになるのだ。
何を表現するのか?何のために表現するのか?
表現の手段としてのツールになるということは、「何を表現するのか?」「何のために表現するのか?」という目的が必要になる。
この目的の厚さがアーティストの価値になっていくはずだ。
というか、これまで近年で売られてきた音楽が、この目的を度外視したものが多すぎたんじゃないかと思える。そもそもアートというものがどのくらい目的を意識したものかは知らないが、嗜好品としてのアートが成り立つのはほんの一部だけであり、その道で食っていけるのは本当に筋の良い一部の人間だけになるだろう。
残念ながら現在のJ-POPにはアートと呼べるものが数少ないのは確かだろう。
何を伝えるのか×どうやって伝えるのか
コンテンツとして成り立つ音楽はどんどんレベルの高いものになってくる。一流の音楽家以外は食っていくことが難しくなっていくだろう。
しかし、ツールとしての音楽の道は無限に広がっていく。音楽をコミュニケーションの手段として使うのであれば、それはただの道具だ。喋りの上手さと音楽の上手さは同じような意味になる。音楽に価値を持たせたいのであれば、本当に伝えたいものに価値を持たせればいいのだ。その別のものが魅力的であれば、音楽はそこそこでも大丈夫なはずだ。
このブログだってひとつのツールだ。youtubeもひとつのツールだ。音楽はそのひとつでしかない。
たとえば日本一周したい高校生がいたとする。この高校生はヒッチハイクと民泊で日本を一周したいと思っている。そして歌うことがとても好きである。
日本一周をするために、移動と宿泊、食事の協力をしてくれた人たちにお礼として「即興の歌つくって歌います!」という段ボールで書かれた看板を首からぶら下げていたとしよう。
きっとこの高校生は話題になるに違いない。
そして心を打たれる人もいるはずだ。
ただ歌うだけで食えないんだったら、歌うことをやめよう。
結論、歌だけで食っていくのは難しい。もし現状、歌うだけで食えて行けていないなら、歌うことを辞めよう。その代わりに、歌や音楽をツールとして「何をしたいのか?」「どうしたいのか?」を本気で考えよう。
ツールとしての音楽ならまだ可能性はある。
本気で何か叶えたいもの、実現させたいものが生まれたときに、その実現のために歌や音楽は大いに役に立つだろう。
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