特別ではなく普通になる。
無料相談をしていると、なんだか特別になろうと頑張っている人が多い気がする。そして特別を追い求めて、特別になれなくて辛くなってしまう。そして気づいた。
これは自分だ。
気づいたときには特別になりたかった。
思い返してみると、ものごころついたときから特別になりたかったんだと思う。小学生の頃、なんとか自分の特別感をアピールしようと弾けもしないピアノを「おれ弾ける~」とか言って、調子乗っていたことがあった。
すぐに強がり大会がはじまってしまうのは、小学生男子のあるあるなのかもしれないが、そんな頃から僕は特別になりたかったのだ。
特別になりたかったから音楽業界に入った?
たぶん大学卒業するときに就職しなかったのも、そのあと音楽業界に入ったのも、特別になりたかったからな気がする。わかんないけど。たぶんそんな気がする。普通に就職活動するのも嫌だった。
そういえば大学生くらいの時から、すこし奇抜な格好をするようになってた。今でも襟足が刈り上がっていて、右側の前髪が少し長いのはこの時の名残だ。(そんなこと気づいていない人がほとんどだと思うけど。)当時は前髪がアゴまであって(右だけ)、ちょっと変わったグラサンをかけて腰にジャラジャラと金属をぶらさげていた。
そうやって、なんとか他人と違う自分をアピールしていた。
島根に来たのも特別になりたかったから?
となると、島根に来たのも特別になりたかたからなのかもしれない。島根の皆さんにはとても申し訳ないが、特別を求めて島根に来てしまったのかもしれない。
なんだか自分の箔をつけるために、移住した感じもある。たしかに「島根に移住」というキャッチーなフレーズに助けられていた。ただし、そのときは必死だったからそんなことは思ってもいなかった。
特別を追い求めても、自分にしかなれなかった。
生まれてきてこれまで、特別ばかり追い求めてきたけど(自覚は無かったが)、結局特別になれることは無かった。いや、正確には自分が望む特別にはなれなかった。
無理して特別になろうとしようとしても、やっぱり辛いだけだった。
自分は自分にしかなれないのだろう。ここ数日でそのことをとても痛感した。何かになろうとすることは諦めたほうが良いらしい。
自分にとっての普通は特別である。
特別を目指すのは諦めて、普通を目指そうと思っている。頑張って目立とうとするのではなく、淡々と自分の出来ることを積み上げてみようと思う。
なんだか当たり前のようなことを言っているように聞こえるだろうが、僕にとっては一番避けてきたことだったりする。普通に生きることはとても耐え難いことだ。
でも、無料で沢山の人の相談に乗っていて気づいたことがあった。その人の普通は他の人にとって「特別」だということだ。
あえて奇をてらわなくても、普通にしているだけでもう既に特別なのだ。自分で気づいていないだけで。そのことを沢山の人から気づかせてもらった。
相談に乗っていながら、本当に相談者さんに感謝ばかりだ。昨日なんかは相談者さんに逆に相談を乗ってもらってたくらいだ。でも相手の方は楽しんでくれていた。それはそれで良かったらしい。
普通であることをしばらく続けてみる。
どうなるかわからないが、しばらく普通になることを意識してみることにする。あらためて考えてみると、平凡に生きようとしたことはこれまで本当に無かった。
これは僕にとっての挑戦ではあるが、コツコツ地道に生きたところで、迷惑かけることにはならないだろう。それだけは安心である。
あでゅ。
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